Sunday, July 25, 2010

[ 引用β(inyo.jp)より、いいと思ったもの抜き出し ]


Gショックの発表記者会見の時、担当者は記者を前にしておもむろに立ち上がり、
会場の後ろから黒板めがけて新製品の時計を叩きつけたそうです。
ざわめく記者を横目に黒板の下に転がる時計を拾った担当者、そして一言
「これが当社の新製品、Gショックです」


学生達への助言 / Achille Castiglioni

好奇心がないなら、やめた方がいいでしょう。
人々のすることや、彼らの反応に関心がないとしたら、
デザインはあなたの職業ではありません。

世界の発明家になろうとしてはいけませんよ。
そうあってはいけないし、
そういうものではないのです。
アイロニーを持って自分のことを眺め、みずからを批判する能力を養っていくことから始めましょう。
- Achille Castiglioni



「だからフィリックスのガムも、パピコも半分に割れるようになってんだ。あげられるように。一人で楽しむんじゃなく、友達を作るためなんだよ。<略>ピュアな感覚で「やるよ、ユー」って。一人で食うのはファックなんだ。」(真木蔵人)

外人さんに「日本にはまだ忍者はいるのか?」って聞かれたら
「少なくなった」って言うと超喜ぶ


毎分、約24時間分という膨大な動画が投稿されている


ノーブラの反対ってイエスパンティじゃね?


草を食むキリンみたいな目をしてそのひとを見つめてしまっている


ラスボスでググると小林幸子


モニタを見ながら書体を選ぶな、頭の中で書体を選べるようになれ。


批判的な精神が強すぎる人はいろんなことに気がついてしまうので諦めるのも早い。
超、自戒の念。黙ってコード書け(Shut the fuck up and write some code.)ってギーク用語もあったね。


私たちの作るタイプフェイスのデザインは、バウハウスのタイプフェイスの構造に由来する。彼らは当時、規則やグリッドを数多く活用することで、あらゆる主観的な「細工の跡」を排除し、国際的な言語を作り上げることを狙った。メディアスペースでの注目度は主観的であればあるほど高まることを承知した上で、このタイプフェイスの歴史をさらに進めていき、その結果、装飾を付加することにより機能からフォルムが産まれるという厳格な規則を一時的に破り、論理だけではなく、直感の問題として考えなければならない主観性を参考にしたのである。 - m/m


テクノを野菜に例えると、実際、いろんなことが理解しやすいと思ってます。一部の人にとっては、ですが。農家はクリエイター、八百屋はレコード屋、料理人はDJ、そして、野菜を食べるってのはテクノを聴くってこと。食べたものは消化されて、それが農家だったらまた畑の肥やしになるだろうし。農薬(サンプリングCD)を使わずに育てた野菜は、形は悪いけど素朴な味がするものです。なかなかお店では売れないので、こうしてお裾分けをしているわけですけど。シンセは農具ってとこかなぁ。


パーティーが終わって捨てられるパセリ


焦げ付いた鍋や何かが染み付いたさえ箸。
かったるそうに回る換気扇とお気に入りの茶碗。
表層的な部分ではなく
咀嚼しているその行為が素敵なのでしょう。


深夜にやっている映画を勝手にエロだと勘違いして夜更かしして後悔する


昔インド人がやってるカレー屋に入って、
カレー注文したらスプーンがついてこなかったんだよ。
「あ、本格的な店なんだ」とか思って手で食ってて、
半分くらい食ったときにインド人の店員が奥から
すげー申し訳なさそうな顔してスプーン持ってきた


母ちゃんの再婚相手がタイ人で、俺の苗字がチョモラペットになった。


遅刻ってのはね、他人の時間を盗む行為なんだよ


the best way to predict the future is to invent it.


以前からスゴく感じていることは、Web業界は横のつながりが強すぎるということ。情報が共有されすぎていて、どんどん没個性化していっている気がしています。若いクリエイターたちも上の世代の影響を受けすぎていて、みんな似たようなものを作っている…。例えば、ファッションなんかでも、ストリートからモードまで色んなスタイルのものがあるように、Web業界ももっとそれぞれの得意分野を伸ばしていく必要があると感じています。
— SIMONE | シモーネ | Web Creator


外国人が「Three box、Three line!」と言っていたらそれは『品川』の意味


ほんとうはすごく詩的な民族のはずなのに、いったいいつから、だれのせいで、僕らは生きものとしての詩を失ってしまったのか。


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消費者の典型的な購買行動は、ローランド・ホールのAIDMA理論

A:Attention(注意)
I:Interest(興味)
D:Desire(欲求)
M:Memory(記憶)
A:Action(行動)

で表されると良くいわれ、そして最近のWeb2.0の潮流によってそれは電通の提唱するAISAS理論(TM)

A:「Attention」(注意)
I:「Interest」(興味)
S:「Search」(検索)
A:「Action」(購買)
S:「Share」(共有)

へと変化しつつあるという。しかしもはや、Attention(注意)の奪い合いによって消費者はよっぽどのことが無い限り反応しなくなってきているし、Interest(興味)を持てる代替案が世の中に沢山有る幸せな時代、さらにDesire(欲求)を刺激するキャッチコピーやSearch(検索)やShare(共有)を喚起しようとするクチコミ(buzz)マーケティングの手法にもおなか一杯である。

美しいもの、楽しいもの
 これまで、効果が限定的だった交通広告に、メディアアート的な手法が多用されるようになったのには、こうした背景があるのではないだろうか。一方的に機関銃を乱射するような広告がほとんど意味をなさなくなった今、本当に美しいと感じられるもの、本当に楽しいと感じられるものが求められている。単に目を奪うことではなく、「デザインの真価」が問われる時代になってきているのかもしれない。
デザイン思考:投稿者 石垣 陽(いしがき よう)

Thursday, July 1, 2010


シンプルにすればするほどその言葉は強くなる。

グラフィックデザインも同じ。

伝えるには、削ぎ落とすしかない。

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愛を伝えるのに、一番伝わる言葉は


「愛してる。」


のひとこと。

きっとこれは100年前から同じ。

この言葉が生まれたときから変わっていないのかもしれない。

誰かのために作るときに、本当によい物は生まれる。
広告は大衆向けだけれど、本当は愛すべき人、1人に喜ばれる、何かを作って生きていきたいのかもしれない。


デザインは、所詮スピーカーでしかない。
良いスピーカーは、良い音質で声を届けることができるが、それ以上に大事なのは声だ。
オレは喋れるスピーカーになりたい。


時間とは不条理だ。
若い頃は1日が長く感じる、というのは実際に脳細胞の関係で感じていたのだと思う。
交通事故などの命に危険を感じる瞬間は1秒間のコマ数が増えてスローモーションになるという。(命を守るために。)
マリファナ等の薬物は脳に作用して時間の感覚を遅くしたりするという。
だれも感覚は測れない。
1人1人、時間のスピードは違うのではないか。

色弱の人がいる。
そうでなくても、見えている色は、皆少し違うのではないだろうか。
音も、声も、本当はみんな少し違うものが聞こえているのではないか。
本当に共通のものなど、ないかもしれない。
1人1人、生きている世界は違うのかもしれない。